阪神大震災の追憶
先般所用があり関西方面に行ってきた。
以前から是非行きたい場所があり、26~27年振りに訪ねて行く事が出来た。
1995年1月17日、私は当時東京に住んでいてその震災を知った。
会社を退職し沖縄に帰る準備をしていた時だったので時間はいくらでも有った。
まずは神戸市に入って方々尋ねて廻り、ボランティアセンターから宝塚市立西図書館の避難所へ行くように指示され、
その施設を拠点として活動しながら被災者の方といっしょに寝食を共にした。
活動内容として、3食の食糧配給の補助、夜間における避難者、訪問者の対応、避難者の話しを聞いてあげる事など色々あった。
食事は避難者への配給が全て済んだ後、残っていればそれにありつける事が出来、その時はどのようなものであれ食べるものがあるだけで幸せを感じていた。
それから時が経ち、もしかしたら当時の建物は建替えされているのではないかと思っていたが、
幸いそのままの状態で残っており、懐かしさと嬉しさが込み上げてきた。
避難所の図書館のある職員が、本人も多少なりとも被災している中話しをしていた事で、
「友人等の安否は怖くて調べる気持ちにはどうしてもなれない」という心痛な言葉は今でも忘れられない。
現実に被災に直面した人でしか感じられない思いであろう。
現在の綺麗な神戸の街並みが永遠に続き、また、全世界が平和である事を願ってやまない。
投稿者 池間 守